小さな喜びを重ねて・・・(藪に咲くオレンジの花)

先生の知らせを受けてから、ちょっとしたことで涙が溢れそうになります。
先生と私がこのような付き合いがあることなど誰にも話していませんから、
あけ広げにして泣くと心配されるのででひっそりと泣いています。



部屋で夜泣いていると、これ以上、先生と離れたくない少しでも先生を留めておきたい
衝動が起こりました。
今まで先生と交わしたお便りや言葉の全て、携帯電話のメールにいたる全てを
傍に置きたくなったのです。
先生から頂いたメールや資料はパソコンやCD−Rにありますが、半分はフロッピーに
収まっています。今、私のパソコンがダメになるとこうしたもの、特にフロッピーものは
見られなくなると心配になってたまりません。
そうなると、先生は永遠にどこかに行ってしまいます。
そこで全てを印刷してまとめてパソコンが使えなくなっても読みかえせるようにしたかったのです。



先生はアルツハイマー病の研究で素晴らしい功績を残されました。
どんな環境であっても不満を言わず、その時の与えられた環境でベストを尽くす方です。
先生と交わした約9年分の全てを一つ一つ確認していくと、
当時の私の環境、先生の周りの事、家族の事、仕事の事・・・・専門的なことから
たわいのない日常の愚痴など色々な話を交わしていたのだと感じました。
病気になられてからの4年間の生き方もとても精力的でいらっしゃいました。
自らを「先きが短い老人」と仰っているけれど、お子さん以上に年の違う私の話にも
興味を持ってくださったり、私以上に精神はお若い方でした。


一つ一つを見ていくと、2年前の冬に先生がなさった最後の講義のレジュメがありました。
そのレジュメは送ってくださったのに、ファイルが開けずにいたのですが、私の操作が
今までいけなかったのでしょう。今回は開くことができました。
社会に出てゆく学生さん達への特別講義のレジュメでした。
大体の内容は教えていただいていましたがレジュメはとても分かりやすい内容でした。
「目立つものが勝つ」「結果主義」「評価主義」ではなくて、人としてどう振る舞うかを
清々しく述べていらっしゃいました。そんなもので人生の勝ち負けを判断していては
本当の意味での勝ったことにはならない。と、日頃から仰っていたのが浮かびます。
とても穏やかで清々しい方でした。



そのレジュメの最後に「うつ病」に関することが書いてありました。
「うつの時代」と言われるように、若い人でも鬱がふえている世の中です。
そうした社会へ送り出す学生さんへの応援と気遣いだと思います。


うつ病になる人は完璧主義の人が多いと言われます。
物事を完璧にやり遂げる人というより、完全主義の欲求が高い人が多いといわれます。
普通の事では容易に満足できない、悪い方にばかり協調して少しの良かったことが感じられない。
少しの喜びを認めそれを喜ぶことができることが大切と仰っています。
精神科医であった先生は、長年うつ病の患者さんにも根気よく相談に応じていらっしゃいました。
一見つまらないような小さなことで幸せになることが大切。少し良かったと思うことを毎日1つ
書き記しなさいと仰っていました。



抗がん剤の治療で入院される時は、「面白いと思う物を撮って携帯にメールしてほしい」と毎回リクエスト下さいました。
私は、花や草、風景や面白いものを探すように毎日を過ごし、先生にお届けしていました。
先生も病室で内緒で携帯を使い、時には先生の周りの物の写真を添付してくださいました。
先生はメールに必ず感謝と労いの言葉を添えて下さいました。
私も先生にならって同じように感謝の言葉を添えるようにしました。
こうしたやり取りは私にとって「日常で小さな喜び」の発見にもつながりました。

ウォーキングの途中で見つけた藪に咲くオレンジの花。
この花も先生にお届けしたかったのに、この花が咲いた時には先生はもういなかったのです。


先生の住んでいらした生駒には咲いていてるでしょうか。

生駒山のことを教えて下さった時、先生は万葉集の一首、
    
    君があたり見つつも居らむ生駒山 雲なたなびき雨は降るとも

が、生駒山に似合うし好きな歌だと仰いました。先生はロマンチストさんでもありました。
私もこの歌は好きです。雨が降ったとか、寒かったとテレビで聞くと奈良の天気を気にしたりしたものです。


これからも、生駒山を思いつつ小さな喜びを重ねていこうと思いました。
「福は微に生ず」ですよね。先生。