紅葉の錦

このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに             管家

(手向山に鎮まりますう網 私が捧げる幣として このえもいわれぬ紅葉の錦をみこころのままにお受け下さい。このたびの度はにわかの出立、捧げまつる幣の用意もございませんゆえ    
                  参照:『百人一首』 大岡 信 /世界文化社


白鳥神社の参道入り口にある紅葉の木です。
地元では知られた木で、秋になるとカメラを構える人が大勢やってきます。

白鳥神社は、霧島山を訪れていた性空が白鳥山の頂上付近にある六観音御池の畔で法華経を唱えていたところ白髪の老人があらわれ「自分はヤマトタケルであり、白鳥となってこの山に住んでいる」と語ったことにちなんで、白鳥山中腹に白鳥権現社として創建されたそうです。

えびの市側からえびの高原に行く途中にある神社で、本殿はこの紅葉の場所からかなり登った所にあります。
何年か前に初詣に行った事がありますが、冬は寒いのでなかなか出かけていませぬゆえ・・・。
近くには源泉かけ流しの温泉もあります。
(源泉かけ流しなら新鮮なお湯で満たそう!と、よからぬ思いつきをし、浴槽のお湯をかきだしていたら、半分かきだした所で、おばさんの団体がやって来て、非常に気まずい思いをした事がある温泉。私の邪な思いつきが招いた結果なんですけどね・・・。)


突然、えびの高原に紅葉を見に行こうと言う事になり出かけました。
まさに歌の通りのにわかの出立。
カメラを持って出かけてみました。
今が見ごろの紅葉の木の周りには、カメラ小僧ならぬカメラシニアが次々にやって来ては真剣に撮影を始めたので、割り込んでいく事が出来ず、遠まきに寄せては引いての撮影をいたしました。
(しかし、年をとると大胆になれていいですなぁ〜。自分のペースで陣地を築き上げるパワーに気押されました)




鮮やかな紅葉を見ると思い出す歌があります。
一つは、
このたびは 幣もとりあへず 手向山 紅葉の錦 神のまにまに
なんとなく「紅葉の錦神のまにまに」って口から出てきます。



・ちはやぶる 神代もきかず 龍田川 からくれなゐに 水くくるとは 在原業平朝臣

・嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 龍田の川の 錦なりけり    能因法師

などの歌は、錦のように鮮やかな山や紅葉の色の日本の秋を連想させてくれます。
色は賑やかだけどどこか落ち着くような、物悲しいような秋・・・



山の上のえびの高原を目指して出発
途中の木々を撮影しながら進みます。