『東京島』 (桐野夏生著/新潮文庫)

今週、何気に本屋さんで購入して一気に読んでしまった『東京島


登場人物の一人、清子は夫の酔狂な世界一周クルーズの最中、暴風雨により孤島に流れ着きました。
その後、島には日本人の若者、謎の中国人などが漂着し、清子を除く31人が全て男性。
やがて夫も亡くなってしまう
ただ一人の女となってしまった清子は、求められ争われ、島の女王の喜びに酔いしれる。

脱出困難な小さな無人島の創世記のようであって違うような面白い本でした。
何が面白いって、31人の中の紅一点がどんな悲劇的な運命になるかと思いきや清子は逞しい。
男に求められる存在である事を利用し女王様気どり。そうかと思えばあることを契機に
自分の立場が危ういと感じると、周りをうかがいつつ強かに生きる。
無人島に漂着しても脱出を信じ無人島での生活を受けいれて適応。
周囲の人間関係に敏感に反応して次々に手を打つ強かさったら、少々、不誠実でズルく感じても
生へのエネルギーと帰還への執着がむき出しで清子の生き方も「あり」だと感じてしまう。




一方、清子の夫は現実に適応できず衰弱の果てに転落死。
残された日本人の男たちは、清子をはじめは求めこそすれ、状況に馴染み趣味やら文化活動に
いそしむ有様。同調できない物は排除し仲間たちと救助の日を待っている。
中国人達のグループは、島での生活や脱出の為に様々な作戦を立てている。
日本人青年たちは、島を東京島と呼び、それぞれの趣味やライフスタイルの合う者とで
集団化し、居住地に東京の馴染みのある地名をつけたり、次第に、リーダーや宗教を求め、
どこか戦闘物のアニメっぽい「社会」を作ろうとするのに比べ、
中国人グループは、生き方こそ逞しいけれどあっという間に野生化している。
読んでいて生き方の描かれ方が極端で面白かった。



島を脱出して生還することが生き抜くこと。島の生活に適応していくことが生き抜くこと。
同じ「生き抜く」と言う言葉でも違う。
清子はその両方を求めて生きているそんな感じもした。



やがて清子はある出来事から、島の人間たちを置き去りにして脱出に成功する。
彼女は島で双子を出産したのだか、脱出の最中その一人を島の住人に奪われてしまう。
それから14年後・・・。
清子は双子の一人を日本で育てていた。
一方、無人島ではあの日本人たちが住んでいる。(人が住んでいるのだからもう無人島じゃないんだけど・・・。)
社会を作り上げた日本人たちは島の歴史を作り上げていた。その歴史のあまりの現実との違い
っぷりに、「自分たちの歴史を美化したいもんだなぁ」と飽きれた可笑しさが漂う。
彼らは、清子が奪われた子供を奪い返しに島に戻ってくると思って育てているのだが・・・。
社会だ秩序だ文化だと言っている割に、どこか受動的な生き方が情けないと言うか、
呑気なことでと言うか・・・。



無人島の話のついでではないけれど、只今、わが妹は奄美に行っております。
奄美でキャンプをするべく友人と旅をしているのです。

キャンプをすると私は田島陽子女史に変身してしまうので、キャンプと言う物を避けております。
人前でこそ田島女史に変身しないように抑えているものの、
過去に出かけたキャンプでは帰宅後に田島女史に変身してしまい、家族に八つ当たり。
「なんで、男は肉しか焼かねぇんだよ〜。肉ばかりついばんでないで準備もやれよ」
「テメーが飲んだ空き缶くらい後始末しろよ。馬鹿すったん!」と、家で暴れるので、プライベートで
キャンプやバーベキューは一切しないことにしている。
その上、年をおうごとに、田島女史に変身するスピードが速くなるので困っちゃう
(時には不機嫌オーラ全開のこともあるでしょう・・・)
キャンプなどして「惚れてまうやろ〜」などと能天気な気分になれないのだ。

そういう具合で、キャンプはストレスしか私に与えないのに妹にとっては楽しいものらしい。
でも、キャンプって野宿と同じですよねぇ。
「お金を払ってまで出かけて野宿とは・・・。」などと言うと、妹は「野宿じゃないキャンプだ」と反論。
でも、姉としては心配なのよ。サソリとかハブとかテントに入ってきたら大変だし、
いくら島とはいっても、私達の住む町の3倍の人口がある島です。ド田舎ではないのです。

「心配〜なのさ〜」大西ライオン風)