お天道様はすばらしい

皆既日食は無理でも、九州は結構太陽が欠けるとあってワクワクした。


太陽観測用のメガネなど手に入るわけでもなくこの日が来てしまった。
おまけに大雨だったし無理だと思っていたけれど薄日が差すという奇跡が起こった。

雲に隠れたり出たりする太陽。
どうしても見たい・・・
見たいけど肉眼で見るのはもちろんのこと、黒い下敷きもダメという。
私が小学生のころの理科の時間は、黒いセロファンみたいなので見たこともあったのに
それも危険行為とか。
昭和時代のことって危険がいっぱいだったんだ・・・。


危険とは知りつつも、フロッピーデスクを壊して、中から黒い円盤を取り出して
チラチラと太陽を見ることにした。
長く見ると危険だろうから、ちらっと欠けているのを見るという、なんともあわただしい作戦。
これも危険行為なのかもしれないけれど・・・。
そんな具合で写真撮影も太陽を見ないようにして撮影していたら、50枚以上は撮りまくったのに、
しっかり写っていたのは4枚だけ・・・


それにしても、お天道様の力はすごい。
95%が欠けたとしても、世の中が真っ暗にはならないのだから。
(こりゃ〜悪いことはできないなぁと思ったりして・・・)
最大に欠けたときも、夕方の頃くらいの明るさだと言われていが結構明るかった。
夕方というと、ぼわぼわ〜っとした暗闇なのかと思っていたら、
影と光のコントラストが強いんだなという印象。
自然の草葉の色よりも物の影が目立つような。
真夏の夕立後に夕日が差したような光のような、
夕日というより朝の生生したような光の下というような、
月夜の明るい晩が10倍明るいとこうなるのかしら?というような世の中。
自分の目が変になっちゃったのかしら?と思った。


今でこそ、科学が進んでみんなで日食を観測したり、マニアになるほど楽しみにしている
人が多いけれど、はるか昔の人々はとても怖かったのではないだろうか。
何も知らないのに皆既日食なんかが突然起こってしまったら国を挙げての大騒動
世紀末だのこの世の終わりだのと心配して途方に暮れたかもしれない。
自らの行いを戒めたり、反省したりしたかもしれないなぁ〜。
科学の進歩は畏れを取り払ってしまったんだなぁ〜。と、思ったりして…