軍艦島に行く 〜島の生活〜

小さな軍艦島には最盛期で5千人以上の人が住んでいました

周囲1200mほどの島です。私のウォーキングの距離の半分もないこの島に、
5千人以上住んでしました。
当時(1965年)の人口密度は、東京の数倍だったそうです

そんな島民が一戸建てとか、平屋の社宅なんかに住んでいるわけがないですね。
島にはこのような高層アパートがいくつも建てられていました。


30号棟、31号棟アパートです。
30号棟はなんと大正時代に建てられたアパートです。
日本最古の7階建て鉄筋コンクリートのアパートですって!!
いや〜、現代の我が町のぐるりを見渡しても、私の町には7階建てのアパートやマンションがあったっけ?
心当たりがない・・・。


大正時代に作られている割には、意外にしっかりと建っています。
西側の海から海風などを防ぐ意味もあったそうですが、大正時代に建てられたとは
思えぬしっかり具合です。
(宮崎にあった幽霊ホテルなんて、100年持つような作りだったかな・・・)
国の持てる力を軍艦島に費やしても良いという感じだったのかもしれません。

この30・31号棟アパートには290世帯があったようです。
狭い感じの6畳一間に、竈が付いたタイプだったようです。
建物には床屋さんや郵便局、商店、地下には一般用の共同浴場がったそうです。
そうそう、映画館なんてものあったとか!

軍艦島は眠らない島とも言われ、夜は大人の世界も煌びやかだったとか
飲み屋さんもあったし、お金で愛が買える廓なんかもあったそうです

でも、狭くてすごい人が住んでいる島。
うっかり愛を買いに行ったりしては人に知られやしまいか・・・(男性は気にしない?)
奥さんやらにバレて修羅場になりやしないか・・・
と、思いましたが、やはり島の男性たちもそこは気を利かせて、
島の外に出かけて行っていたようです。
逆に、島の外からのお客さんが多かったとか
(荒波越えて、行く方も来る方も・・・)
この30・31号棟アパートには290世帯があったようです。
狭い感じの6畳一間に、竈が付いたタイプだったようです。
建物には床屋さんや郵便局、商店、地下には一般用の共同浴場がったそうです。
そうそう、映画館なんてものあったとか!

軍艦島は眠らない島とも言われ、夜は大人の世界も煌びやかだったとか
飲み屋さんもあったし、お金で愛が買える廓なんかもあったそうです

でも、狭くてすごい人が住んでいる島。
うっかり愛を買いに行ったりしては人に知られやしまいか・・・(男性は気にしない?)
奥さんやらにバレて修羅場になりやしないか・・・
と、思いましたが、やはり島の男性たちもそこは気を利かせて、
島の外に出かけて行っていたようです。
逆に、島の外からのお客さんが多かったとか
(荒波越えて、行く方も来る方も・・・)



(映りが悪いですが、島の西側にあるアパート群。船の中より撮影)

こんなにアパートが密集していると、隣の物音が気になりますね。
物音だけじゃありません、建物が近すぎて部屋の中まで丸見えになっていたとか・・・。
火事も怖いですね・・・。

こんな環境は私は耐えられないかも。
それとも住めば都、人は慣れてしまうのだろうか・・・。

この島の住宅事情は快適とは言えませんが、所得水準はとっても高かったそうです。
ガイドのオジサンが同じ時期、郵便局員をしてたけれど、
軍艦島の炭鉱マン達は、公務員の3〜5倍の給与(命がけの仕事だし)。
住宅費、光熱費もタダだったとか。
海底ケーブルから電気が送電され、東京オリンピックを自宅のテレビで見たなんて言う
世帯がほとんどだったとか。

便利な生活はあっても、この住宅事情には耐えられるかな・・・。
秘密の多い私などは遮光カーテンを閉めたまま暮らしちゃうかも。


これは、軍艦島の一番いい物件でございます。
この建物のウリは「お風呂付」です。
24時間、好きな時に自分の家で風呂にはいれます
でも、ここに住めるのは高級職員だけです。
他の職員アパートのように密集していないし、プライバシーも多少は保てるかもしれません。
少しは出世しておくものだな・・・と・・・(お風呂は大事だよ〜)


端島小中学校です。
昭和30年代に作られた学校は、1〜4階が小学校、5〜7階が中学校だったそうです。
(後に幼稚園も入っていたとか)
給食を運ぶエレベーターもあったそうです。
海水ですけどプールもありました。

他にも、病院(隔離病棟も)、児童公園、神社なんてのもありました。
ないのは火葬場とお墓くらいです。


石炭の産業が華やかだった時代、とても活気にあふれていた島でしたが、石炭から石油にエネルギーが転換されると閉山されました。
(意外にも、私が生まれる少し前まで操業していたようです)

便利な施設が沢山あったのに今では廃墟です。
沢山の高層アパートに人が住んでいて活気にあふれていたのに・・・。
建物が残っているだけに、人の声が聞こえてきそうでもあります。

ふと、先日、テレビで関西の名門・灘校の伝説の老教師が、
「すぐ役に立つことは、すぐに役立たなくなる」と、言っていたのを思い出しました。

なぜだか、それが頭に浮かんだのです。